高尾山の紅葉…真紅のモミジが映えて


11月16日(金)、空たかく快晴の一日。
すこし厚着かなと思いながらも、用心にこしたことはないとキルティングのブルゾンを着て出立。
むかうは高尾山、足腰に自信のないわたしの初挑戦となる登山である。
高さ600mほどの都心に最もちかい山、登山というよりハイキング的な気軽さをもって登りたい。


初心者でしかも方向音痴の私が選ぶコースは、当然1号路。
全長3.8kmである。
このコースは薬王院まではすべて舗装されており、ビジネスシューズで歩く人もいるくらいだ。


  

京王線「高尾山口駅」でお弁当と飲み物を買い、
気合をいれて出発。

5分ほど歩くと、高尾登山電鉄が運行するケーブ
ルカーとリフトの始発駅に到着。
標高200mほどの位置になる。


駅前広場のモミジの木々が、この日とばかりみごとに紅葉させた枝を大きくのばし、空を覆っていた。
黄色く色づいた木々とのコントラストが目をひく。

広場の端から、樹木のトンネルのような登山道が走っている。
その入口に高尾山麓不動院がある。

こじんまりとしてはいるが、けっこう品格あるつくり、まずは山頂までの安全を祈願する。



  

ケーブルカーの乗車口は乗客の長蛇の列、よって迷わず選んだリフトは閑散としていた。
リフトの山麓駅 から終点の山上駅 までは全長約900m、12分ほどで到着する。

標高460mに位置するこの山上駅からは、徒歩しか手段がない。
頼りない足に気合を入れて出発した。

途中、90歳をとおの昔に越したという男性と、少しのあいだ同行。
足腰を鍛えるためにこの山にはよく登る、と笑顔で語ってくれた。

道に迷うようなことがあったら、この人の背中を追えばよい…と歩き始めたばかりなのに、もう誰かを頼りたくなる習性がでてきてしまう。

それにしても、人の年齢をはかるのに実年齢をもってするのは現実的ではない。
精神年齢のほうが、ずっと実態に即している。
その証拠に、彼の足腰は私よりずっと達者なのだ。

紅葉をもとめ歩く登山ではあるが、登るほどに色が遠ざかっていく・・・。
高尾山は、都心から50km、標高600mという位置にあり、その位置関係から暖温帯と冷温帯それぞれに属する多種多様な樹木がひろがりをみせており、1200種以上の植物があるということである。



  

  

その内、モミジなどのカエデ類やウルシ、ナナカマド、ハゼノキなどが紅葉し
イチョウやカラマツ、カツラなどが黄葉する。
さらに、ブナやケヤキ、ナラなどは褐色になるという。


  

  

この日は、紅葉したモミジと黄葉した木が少々、褐色になりたての木は多めだったが、まだまだ緑の多い樹林の中にそれらの色がポツン・ポツンと点在していた。
見晴台から眼下をのぞみ紅葉を観察してみたが、やはり赤や黄のいろどりが少なく鮮やかさもイマイチ。

代わりに6~7月に見られるヤマアジサイ、8月に咲くシロヨメナとオグルマに似た黄色い野草が花をつけていた。可憐でかわいい花々ではあるが、野や山に咲いていてこそ存在感をもち、愛でられる花であることをつくづく思う。



  

  

  

ワタシがワタシであるためには、ワタシに似合う場所にいることが良いのだ…と花たちがささやきかける。
傲慢な衣をはぎとり、謙虚に生きること…そこには自分を知りぬいた強さがある。
私も、野草のように生きられるだろうか…。

しばらく歩くと「タコ杉」といわれている大木が見えてきた。
高さ37m、周囲約6m、樹齢450年の大杉である。

昔、参道をつくる際、根が邪魔になるので伐採しようとしたと ころ、一夜にしてその根が後方にまわりこんだ という伝説が表 示されていた。

タコの足のように、太い根をくねらせて大地をつかみ、今にも動
きだしそうなリアリティがある。

冒険心に富んだ子どもたちだったら、きっとこのタコ足に仁王立
ちになって周囲を睥睨してみたいだろう。
木の保護のため、金網がはられてしまった。



  



  

  

浄心門をくぐると、参道の両側には赤い常夜灯がたくさん立っていた。

ここには、修験道の始祖といわれる役小角(エンノオヅヌ)をまつった神変堂(ジンベンドウ)がある。

千年後に菩薩となった彼は、役行者(エンノギョウジャ)として厳しい山岳修行をつみ、空をかけ巡るほどの験力を身につけたという。

ここからかなりの距離をあるいて、やっと薬王院仁王門の前にでた。
仁王門には、仏法を守護する2体の金剛力士が安置されており、左右にそれぞれ(あ)と(うん)の形でかまえている。

薬王院は正式名称高尾山薬王院有喜寺 、8世紀に東国鎮守の祈願寺として行基により創建されたもの。

当初の本尊は薬師如来だったが、14世紀に
縄大権現
(いづなだいごんげん)
がまつられる
ようになったという。

真言宗の大本山である。

ここは、信州戸隠山に端を発する修験道の山岳信仰で、修行後、神通力を得て100歳以上の長寿を得たはなしや、霊験を得て妖術をつかうなどの秘話がつたえられている。

飯縄法 という妖術は、長さ5寸ほどの管に小動物を入れた管狐 を懐中し、その霊能をもちいて術を行ったというもの。

管狐は、 「いちじるしい霊能力を持ち、変幻出没自在、予言をなし、人になつき、飼い主には非常な利益をもたらす」ものだったらしい。

信仰とは、こうした人間のおよばない超能力に依拠するものであろう。

境内にある2体の天狗像が、異様な気を発している。

これは、飯縄大権現の眷属(けんぞく)であり、除災開運、災厄消除、招福万来などの救済をほどこす神通力をもっているということである。

当院には、文化財も複数あり、寺宝とする立派な建造物がひしめいていて、いくら時間があっても見たりない。三間一戸・八脚の堂々とした仁王門・・・重層入母屋づくり瓦棒型銅板葺・総檜づくりの四天王門・・・僧侶専用の黒門などの聖域と外界をつなぐ門。



  

  

  

本尊をまつる飯綱権現堂・・・護摩壇のある神社風の薬王院大本堂・・・富士信仰の富士浅間社・・・不動三尊像をまつる奥之院不動堂・・・極彩色の社殿福徳稲荷社・・・学業成就・合格祈願の修行大師堂・・・入母屋づくり・銅板葺きの鐘楼・・・竜王をまつる八大竜王堂・・・古いお札をおさめる納札堂・・・愛情や情欲の仏のいる愛染堂・・・愛の神様の和合歓喜天堂・・・足腰のための天狗社・・・除災招福祈願の倶利伽羅堂・・・はれものやイボがとれる飛飯綱堂etc.
とにかく一見の価値ある宝庫である。



  

  

  

祈願の札がぎっしりとぶら下がっている中に2枚、対称的な願いごとがあった。
「最高の人間になりたい!」
「成るように成りますように。」

思わず吹きだしてしまったが、ふたりとも真剣な思いで書いたにちがいない。
真剣に生きていけば、「最高の人間」と「成るべくして成った人間」は、優劣なしの立派な人間になっているだろう。
かげながら応援したい。



  

  

  

見ごたえのある薬王院では、ながいこと歩きまわり疲れがでてきたが、山頂まではもうひといき。足首の痛みを気にかけながら、裏手から1号路にでて最終目的地にむかう。

幼稚園児が元気にあかるい声をはりあげて通りこしていく。
シルバー人材センターの旗をかかげた一行もハツラツとしている。私もがんばろう。



  

  

途中、黒ぬりの木造建造物があった。ぜったいレストランにちがいないと、近づいたら…トイレ!
山のトイレは、とかく粗末で不潔感があるが、ここはとても良い。トイレはこうであってほしい。

午後1時、頂上に到着。
日あたりのよいところでありながら、さびしい紅葉である。
紅葉する木がすくないのだろう。

すずしい日陰に腰をおろし、山菜飯と赤飯のおにぎりを食べて、きた道をひきかえした。


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