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歴史散歩・黒川の里山をあるく

黒川村を歩く 20121118 016

黒川は、南・北・西を多摩丘陵にかこまれた三沢川の源流域にあったため、川の水が透明で底が黒く見えたということからこの名がついたといわれています。

黒川の里山散策(すこやか活動) 011
黒川の里山散策(すこやか活動) 008
黒川の里山散策(すこやか活動) 031

この豊かな森と水が農業を支え、炭焼きを盛んにさせて良質の黒川炭をうみだしたわけですが、今でも谷戸といわれる谷状の地形を利用した農業がひきつがれ、里山の風景がのこされています。

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この地は、室町期には黒川郷とよばれていましたが、いつの間にか御仁々局なる女性の領地となり、その後、土地の維持が困難となって半分が鎌倉府へ寄進されました。

黒川歴史散策 013
黒川歴史散策 016
黒川歴史散策 014

鎌倉公方の足利氏満は、これを円覚寺の塔頭(たっちゅう・・境内にある小さな寺)である黄梅院に寄進しましたが、つづいて残り半分も同院に属することになります。

黒川の里山散策(すこやか活動) 050

その後、禅秀の乱(1416年)にはじまる関東各地の動乱により、寺領の権益もくずれ地頭によって強奪されてしまいますが、小田原北条時代(1543年)には小山田弥三郎の領地、江戸時代(1616年)になると都筑郡黒川村として旗本・駒井親直の支配下におかれます。

黒川歴史散策 054
黒川歴史散策 050

近代に入ってからは、明治11年に都筑郡黒川村、22年に10村が合併して柿生村、昭和14年に川崎市黒川、47年に多摩区黒川、57年に麻生区黒川
・・・時の流れに翻弄され永いながい歴史をたどりながらも、今なお豊かな森が農地をはぐくむ里山の風景が、泰然とした広がりをみせています

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黒川歴史散策 056
黒川歴史散策 059

黒川は、川崎市では一番標高が高く、多摩丘陵にあっても標高の高い地域です。澄みきった空気と豊かな自然がのこされた里山の風景にうながされ、散策する人々のあとは絶ちません。

明大・黒川農場 044
黒川の里山散策(すこやか活動) 009
黒川歴史散策 124
明大・黒川農場 059
明大・黒川農場 062

現在、ここは農業振興地域に指定され、農業発展のための必要な措置がほどこされています。とおりすぎる畑には、赤く実った柿の実やしっかりと葉をつけた野菜が元気に育っていました。

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カラスウリ
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道端に咲く草花も排気ガスなど知らないかのように、おいしい空気をいっぱい吸いこんでのびのびと空にむかってのびています。

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黒川歴史散策 063

そんな里山の風景を切りとってみました。
2013年10月下旬と前年11月下旬にカメラに収めたものです。

(参考資料・あさお観光協会ガイドの会『黒川の里を歩く』)

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