将軍家より葵の御紋の使用を与えられた名刹である。
『聖観世音菩薩略縁起』によれば、
天平宝字元年(757年)
観音菩薩が孝謙天皇の夢枕に現れ「武蔵国の光ヶ谷戸という所に居る」と言われ、
探索を命じられた結果、発見されたいうが、
正確な創建年代は不明である。
孝謙天皇の勅命で
武蔵国都筑郡二本松で発見された
一寸八分の聖観音である金の像を祀り堂宇を創建したという。
寺伝によれば
延喜17年(917年)高野山の三世無空上人が、
醍醐天皇から「王禅寺」の寺号を賜り、
改めて創建され関東の高野山と呼せられ、東国鎮護の勅願寺となる。
延喜21年(921年)高野山の熊空上人により真言宗の寺となるという。
建保2年(1214年)に禅寺丸-柿が発見された。
元弘3年(1333年)鎌倉攻めの新田義貞の戦乱の兵火を被り焼失したが
建徳元/応安3年(1370年)再興された。
鎌倉時代、将軍より多くの寺領を寄進され、
戦国時代には北条氏直から、銀三十貫を安堵された。
さらに江戸時代幕府より三十石の朱印与えられた。
徳川幕府の歴代の将軍の位牌を奉り、
将軍家より葵の御紋の使用を与えられた。
日本最古の甘柿の品種と言われている禅寺丸の
原木が境内に残っている。
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