途中、しばし足を休めたくなるほどの長い階段の参道を登りつめ鳥居をくぐると、そこは厳かな構えの社殿をいただく神域、「月読神社」
小高い丘のこんもりとした緑の木立に包まれて、たえず清らかな緑の大気が再生されているかのようなすがすがしさが漂っています。
ここには、月の神さま「月夜見(つくよみ)尊」が祀られています。
アマテラス、スサノヲとならぶ三貴神のひとつですが、全国的には非常に少ない神社とのこと。
「月の若水(おちみず)は若返りをもたらす」という古代信仰の神。
壱岐地方の神?で、海の民の信仰だったのでは??などとも・・・。
万葉集には男神だったと記されていますが、古事記や日本書紀にはほとんど記述がなく、謎の神とされています。
天正3年(1543年)、麻生郷の領主小島佐渡の守が、天下泰平、五穀豊穣を祈願して社殿を建立し、伊勢神宮の別宮である月読宮の分霊「月夜見尊」を勧請(かんじょう)しました。
社殿は、その後二度にわたり再建され、大正5年には神社統合整理令(一町村一社)により、廃社された上麻生の熊野神社、山口の白山神社、下麻生の日枝神社などを合祀して、村社「麻生神社」と改称。
しかし、昭和8年に再び「月読神社」になったということです。
現在の社殿は、昭和49年に新築落成したもの。
正徳5年(1715年)の記録によれば、上麻生・下麻生村の氏神として、毎年、宮祭りが行われ、その際、米一俵が下賜されたとのこと。
ちなみに、1906年に始められた明治政府による神社の統合整理令は、国家神道体制の確立が目的で、全国19万の神社が統廃合されました。
廃社跡の鎮守の森は伐採され、由緒ある神社だけが残されたということです。
分祀されている熊野神社と日枝神社の祠は、小ぶりながらも細かい細工がほどこされ、往時が忍ばれる厳かな佇まい。榊とお神酒が備えられ、大切に祀られています。
神社本殿の東50mの山林に亀井古墳群があります。
弁慶とともに義経の四天王の一人とされていた亀井六郎重清は、頼朝の怒りをかって滅ぼされた義経に忠誠を尽くし、20代の若さで没しました。
このあたりに重清の館跡があり、その子孫は昭和初期までここに居を構え暮らしていたそうです。
その屋敷は、立派な欅造りで大黒柱を持つ大草屋根の母屋、15畳間2つ、10畳間3つ、長屋門を持ち土蔵が7棟あったという豪壮な造りだったようです。
神社に向かう途中、鐘と太鼓の賑やかな祭りの音に嬉々として皆が振り返ると・・・鳳凰をいただいた大太鼓をデンと据え、「月読神社氏子中」の太い堂々たる文字を記した伝統的な山車。
人物ともになかなかの貫禄です。
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